もう20年近く前のことになるでしょうか。
高校の夏休み。家のチャイムがなりました。
「宅配便でーす」
私が出ると、何やら大きな箱を持った宅配のお兄さんが。
「ありがとうございます」
受け取ると、荷物の宛名は私。
私宛ての荷物?身に覚えがないまま受け取り、差出人を見ると
「伊藤園」
の文字。
伊藤園…?お茶とか売ってるあの会社?私、何も注文してないけど…。
◇◇◇
事態がよく飲み込めぬまま箱を開けると、そこには1冊の冊子と、「お~いお茶」が並んでいるではありませんか。
それらを見ても何事かピンと来ないまま、私は同梱してあった冊子をめくりました。
表紙には「伊藤園お~いお茶新俳句大賞」…
「…!!!」
ぎっしりと掲載されている俳句の中に、私の作った俳句と自分の名前を見つけました。
「なぜ?」
必然と疑問が浮かびます。日常的に俳句を作る習慣などなかったので、学校の授業か、宿題で出されたものでしょう。
おそらく、授業か宿題で提出したものを、学校が取りまとめて伊藤園に応募したのだと思われます。
そして、ありがたいことに私の作品が選ばれ、入賞の賞品としてこの荷物が届いたのです。
◇◇◇
届いたお茶を見てみると、パッケージに自分の俳句が載っていました。
思い返してみると、この俳句が、初めて世に出た私の作品でした。世に出た、なんて言うとちょっと大げさですね。
でも、とても嬉しかったのを覚えています。「ここに応募しよう!」なんて思いもなく作った俳句ではありましたが…。
以来、お~いお茶を手にすると、必ずパッケージの「新俳句大賞」を見るようになりました。
3つほどの俳句が、ただパッケージに印刷されているだけです。コメントも解説もなし。
作品の横には、住所と年齢、名前が載っています。
それらを見ると、ぐんと想像の幅が広がります。ただこちらが想像するだけなのですが、なんとなく作品の色が鮮やかになるような気さえします。
言葉の選び方が秀逸だなあと感心していたら自分より年下だったり、この単語の組み合わせ、なんて新鮮!と感じたらずっと年上だったり。
五七五の十七字の世界は、なんて奥が深いのだろうと思うのです。
◇◇◇
伊藤園 お~いお茶新俳句大賞の公式ページを見てみると、「ステートメント」(声明)と「想い」が掲載されています。
「お~いお茶」を飲む。
伊藤園 お~いお茶新俳句大賞 (itoen-shinhaiku.jp)ステートメント
その時、こころに浮かんだ景色を俳句にする。
(中略)
こうして生まれた「新俳句」が、
日々の暮らしに寄り添いながら
ほっと気持ちを軽くしたり
ふっと笑みを浮かべるきっかけになる。
お茶を飲み、感じた、ひとときのやすらぎやこころの風景を、自由に俳句として表現する。
表現した言葉を誰かと分かち合いながら、日々の暮らしをほんの少し、彩っていく。
「想い」にはこんな一節があります。
お茶と言葉は、不離一体。
伊藤園 お~いお茶新俳句大賞 (itoen-shinhaiku.jp)伊藤園新俳句大賞への想い
お茶が、言葉を呼び覚まし、
季語を香らせ、風景をしぼる。
そこに自然とリズムが刻まれ、
生まれてきたのが「俳句」。
お茶と言葉は、不離一体…なんと印象深い文章でしょう。
誰かの俳句を読んで想像を豊かにするように、お茶の渋みや深み、香りは生活を豊かにしてくれるように思います。
◇◇◇
何かと慌ただしい生活の中、ゆっくりお茶を飲むこと、というのはとても贅沢な時間なのかもしれません。
たまには一息、湧き出る言葉に耳をすませながらお茶を飲む。そんな時間をもっと大切にしていきたいものです。
参考サイト:伊藤園 お~いお茶新俳句大賞
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