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「了解です。」に威圧感?「マルハラ」って知ってる?

チャット画面

「了解です。」

「わかりました。」

「ありがとう。」

これ、最近、若者の間で「マルハラ」って言うんですって。
みなさん、知ってました?

LINEなどでの日常のやり取り、みなさんは文末にマル(句点)をつけますか?
私は、つけたりつけなかったり。「ありがとう」のように一言だけを送る場合は、つけないことも多いでしょうか。

逆に、冒頭のように、マルがきちんとついている文章を見て、どのように感じますか?

「特になんとも」
「何も間違っていない」
「自分も普通にそうしている」

このように感じるでしょうか?
それとも、

「冷たい」
「なんか怖い、怒ってるのかな?」
「威圧感がある」

このように感じるでしょうか?

◇◇◇

今、10~20代の若者世代では、この文末のマルを怖がる人がとても多いのだそう。

「マルがついていると、不機嫌なのかなと思ってしまう」
「冷たいというか、すごく距離を感じる」
「怒られているようで怖い」

マルがあることで威圧感を感じたり、距離を取られている、という感覚になりストレスに感じてしまうことから、文末にマルがついた文章を「マルハラスメント(マルハラ)」と呼ぶのだそうです。

私は30代ですが、言われてみればそう感じられなくもない、というくらいの感覚でしょうか。
ハラスメントと言うほど「怖い!」と感じたことはないようにも思いますが、なんとなく「あ、機嫌悪いのかな」と思ったことはあります。

一方、40代以降の大人世代では、このようにマルをつけることはごく自然で当たり前、という声が多数。

「メールなどでは普通につけるので、LINEも同じようにしている」
「文末にマルをつけるのは当たり前」

このような世代間のギャップがあるようです。

◇◇◇

なぜ、文末にマルがついていると「怖い」印象になってしまうのでしょう?

私なりに考えてみますと…

  • マルには「終わり」という印象が強い
  • 絵文字でないので簡素に見える
  • そもそもテキストコミュニケーションは冷たい印象を与えがち

このようなところでしょうか。

マルには「終わり」という印象が強い

そもそも、文末に何もついていない文章より、マルがついている丁寧な文章のほうが怖い印象、というのは、よく考えたらおもしろいことだと思いませんか?

マルは句点、つまり文章の終わりを示す記号。
この「文章の終わり」というのが「やり取りの終わり」という印象と結びついているのかな?と感じました。
「終わりです」という意味の絵文字のような感覚、とでも言いましょうか。

この「終わり」感を強く捉えてしまうと、拒絶や冷たさにつながるのか?と推測。

絵文字でないので簡素に見える

先ほどの逆を言えば、「マルは絵文字ではない」という捉え方もできるでしょう。

感情を乗せるなら文末に絵文字を、特にその必要がないなら(マルも含め)何もつけない。LINEなど短文のやり取りでこの感覚が浸透している世代にとっては、マルは異色の存在ですらあるかもしれません。

そして、記号ですから当たり前なのですが、マルはとても簡素に見えます。この辺りが関係しているかも?

そもそもテキストコミュニケーションは冷たい印象を与えがち

だいたい、まずもってテキストコミュニケーションというのは冷たい印象を与えがちなものです。
文字だけでのやり取りはドライな印象で、誤解も生じやすいと言われています。自分にまったくそのような意図がなくても、ぶっきらぼうな印象、と捉えられてしまうこともあります。

ただ、LINEを始め、今やSNSは、物事を伝達するだけのツールにとどまっていませんよね。
送られた文章の先にどのような感情が盛り込まれているか?を読み取ることは当たり前のようになっています。

◇◇◇

受け取る側が「怖い」と読み取ったからと言って、じゃあこのような文章はすべてハラスメントなのか?というと、そこには疑問が生じますが…。

私のこれらの推測もただの深読み?
おもしろいような怖いような…でもやっぱり、おもしろい、ですかね。

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