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「逃げるは恥だが役に立つ」のことわざを思い出した出来事

子どものイラスト

新聞やラジオ、雑誌などで、よく「人生相談」のコーナーがありますよね。
私、それを読むのが好きなんです。
老若男女のさまざまな悩みに、いわゆる心理の専門家を始めとして、作家さんや役者さん、芸人さんなどが回答しているのを見るのは、ひっそりと他人の心の中を覗いているようでおもしろいのです。

先日見たとある人生相談は、小学生の男の子からの次のようなものでした。

学校でいじめを受けているけれど、誰も助けてくれない。
どうしたらいいのか?

そして、この相談への回答は、以下のような内容でした。

誰も助けてくれないのであれば、逃げていい。
逃げることは悪いことではないし、恥ずかしいことでもない。

回答者に共感しながら、うんうんと頷きながら読みました。
疲弊してまでその場(相談者にとっては学校)に行かなくてもいいし、それは恥ずかしいことではないのです。弱いとかダメだとか、そんなふうに決めつけなくてもいいのです。

読み進めていくと、さらに「なるほど」と感じる文章に出会いました。

「逃げる」のではなく「別の場所を選ぶ」という考え方をするのはどうだろうか?

例えば「学校へ行かない」という行動も、それを「逃げる」と捉えるのではなく、「別の選択をした」と捉える、というふうに見方を変えてみるのはどうか?ということです。

「逃げる」というとネガティブなイメージがつきまといますが、「別の選択をした」というと、自分で選んだというポジティブな感覚が持てそうですよね。
自分がそう思えるだけでなく、まわりの見る目も変わってくると思います。

◇◇◇

このような相談に目が行ったのは、4歳娘の最近の行動で、ちょっと悩んでしまっていたからです。

うちの娘、聴覚が過敏なようで、幼稚園での大勢の子どもたちの声や、音楽、テレビの音や車の音が極端に苦手なようなのです。
友だちとの会話は楽しんでいるようだし、家族ともふつうにコミュニケーションは取れます。テレビや動画も観ます。

でも、テレビや動画の音量をやたらとうるさがることが多いな、とは思っていました。あと、掃除機やジューサーなどの大き目の音は耳をふさがれることもあります。

私もどちらかというと聴覚過敏気味で、テレビはもともと苦手。観ようと思ってつけることはありますが、「なんとなく流している」という感じでつけっ放しにされているのは苦手です。
なので、娘の行動や気持ちは、多少はわかるような気がしていました。

ですが、先日のこと。

娘が「幼稚園に行きたくない」と言い出しました。
体調が悪いわけでもないのに、行きたくないと言い出すなんて初めてのことでした。

こういうときにどのような対応をするのがいいのか、とっさに判断できませんでしたが、その日は幼稚園を休ませ、私も休日だったので一緒に家で過ごしました。

翌日は何事もなく登園したので、あの日休みたかったのはただの気まぐれかもしれません。何か言いたくないことがあったのかもしれません。
ですが、なんとなく、はっきりとした理由はないのですが、聴覚過敏が関係しているような気がするんですよね…。「どうして?」と言われたら理由はないのですが。

◇◇◇

たったの何日か幼稚園を休んだことを、「逃げる」とまでは誰も言わないかもしれませんが、なんとなく引っ掛かっていた出来事でした。
そんな折、冒頭の人生相談を読んだのです。

なるほど…と思いながら読み、その人生相談に関する感想なども読んでいくと、さらに背中を押してくれるような文章に出会いました。

その人は、自身の特性から、一般企業で正社員として働くことは難しく、人とは異なる働き方をしてきたようです。
葛藤もあったようですが、そのような働き方を「逃げた結果そうなった」と捉えるのではなく、「私の積極的な選択」と捉えることで誇りを持てるようになった、と書かれてありました。

もし、これから先の娘の人生で、逃げたくなるほどの局面がやってきたら…その行動を肯定できるようなアドバイスができるようになりたいな、と思った出来事だったのでした。

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